偽善者
自分がいかに偽善者なのか、自分自身が良く知っている。
いかに他者から「あなたは信頼できる」「あなたは高潔な人だ」と言われても…。
人によっては自分自身に偽善という布を被せている人もいる。
自分が偽善者であることを偽善しているのである。
しかし偽善者は、神仏の前でも偽善であり続けることはできない。
なぜだろう。
神仏は、真正面から「正」を伝えているからである。
神仏それ自体に偽善はあり得ないからである。
キリスト教であれば「博愛」であり、仏教では「慈悲」である。儒教では「徳」である。
これらを否定することは不可能であり、否定すれば自ら「悪」の看板を掲げることになる。
神仏の存在の大いなる意義は、まさにここにある。
いかなる偽善者であっても、神仏の前では無力なのである。
偽善者が偽善であるとこを自覚すればするほど、神仏の絶対性は高まるのである。
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果て
地球の果てはどこにあるの?
丸いので果てはありません。
宇宙の果てはどこにあるの?
無限なので果てはありません。
私の果てはどこにあるの?
死ぬまで果てはありません。
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平和の門
世界で戦争は止まない。絶対に止まない。
家族という重しがある限り、民族という鎖がある限り、国家という城壁がある限り、戦争は絶対に止まない。
人類が欲望という尽きぬ快楽を求め、人類が名誉という化粧を好み、人類が繁栄という独善を喜ぶ限り、戦争は絶対に止まない。
平和への道は、自己を知ることというが、自己を知っても自我から抜け出すことはできない。平和への道は、他者を知ることというが、自己と他者を分け隔て比較することが諍いのはじめである。
自己と他者を分けてはならない。自己と他者を比較してはならない。
他者を自己と認識すること。自己と他者とのつながりを意識すること。
自己と他者が混在となり、その差も分からず、その距離も感じず、ただ我らとして一体になること。
他者を認識しろ。
他者を意識しろ。
他者と接続しろ。
他者と同化しろ。
そのとき、平和の門が開き、戦争が立ち止まるかもしれない。
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いばる人。
小さな役職、小さな責任、小さな使命、小さな権力…。
こうしたものを“器の小さな人”に持たせると危ない。
とたんに威張りだす。
そうした人は、自分の“器が大きくなった”と勘違いしている。
小さな器に、目一杯のモノを詰め込むので、
何かが起きると小さな器から“怒り”としてあふれ出すのである。
とくに厄介なのは、自分より弱者に対して強硬に出る人である。
弱者とは、まだ経験が足りない、情報が足りない、実力が足りない、
そうした未熟な人たちに対して高圧的に振舞う。
本来、リーダーはそうした弱者を強者にするために導くのが役割である。
しかし器の小さな人は、弱者だと思う相手に対して、自己顕示欲が前面に出てしまう。
たとえ普段は静かにしていても、ちょっとしたことで権威を振りかざす。
わめき、さわぎ、怒りを見せる。それは同時に自己保身に走っている姿でもある。
これが器の小さな人の特性である。
ではこうした事象にどう対処したら良いのだろうか。
まずは未然に防ぐことである。
器の小さな人に、責任を持たせてはいけない。
ただし器の小さな人でも、将来、その器が大きくなるのか見定める必要がある。
責任を持たせたことで、器が大きくなる人もいるのである。
いわゆる「役職が人を育てる」というものである。
問題は器が小さいままの人である。
これへの対処方法が問題である。
とくに仕事ができ、人望もあるのに、器の小さい人にこそ問題が起きる。
器とは、その人物の頭脳でも、人格でもないのである。
器とは、中国の儒教的には「徳」であり、インドの仏教的には「慈悲」であり、キリスト教では「自己犠牲」である。それが事実だとしても、「徳」「慈愛」「自己犠牲」ともに、テストでは評価できない。その大きさを計量することはできない。
器とは、他を知りうる「感知能力」と、他を受け入れられる「受託能力」である。
他とは、人であり、事象であり、社会である。
それらを感知し、それらを受け入れる能力が必要である。
この能力を身につけている人は、器という概念がなく、つまり器に大きさがないのである。
「器のない人」が「大きな器のある人」である。
一見、未熟な若い人であったとしても、自分自身が努力し、他者に心を配り、取り巻く環境に注意を払い、その変化に敏感であり、それらを受け入れられる人は、つねに大きく成長するのです。
何が大きく成長するのか?
それは魂である。器とは、魂そのものなのだ。
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平和主義者
平和主義者になるな!
平和を求めるなら、闘士とならなければなりません。
平和とは、自己の内部にある悪との戦いです。
平和とは、結果ではなく過程です。
自己の悪と対峙し、悪を叩き、悪を追い出す戦いをしなければなりません。
時には命を賭けた、まさに熾烈な戦いです。
自己の内部に潜む悪との戦いを止めてはなりません。
悪との戦いを止めた時は、敗北の時です。
自己の悪とは、
恨(うら)みであり、
嫉(そね)みであり、
妬(ねた)みであり、
謗(そし)りであり、
驕(おご)りであり、
自他への憎しみであり、
それらから生まれるありとあわゆる悲しみや怒りです。
自己の悪に無関心であれば、それらは際限なく増殖を続けます。
自己の悪とは、自己の人間性の喪失です。
自己の脆弱性と戦わなければ、自己は失われるのです。
だからこそ、自己に対して平和主義者になってはならないのです。
日々刻々、闘士として戦うのです。
~
平和主義者とは、時に自己にも他者にも無関心となる。
平和主義者とは、戦いを恐れ、戦いを回避し、暗い防空壕に身を隠す。
平和主義者とは、自己の弱さをひた隠し、他者の強さを忌み嫌う。
平和主義者とは、夢想と幻想に遊び、現実を批判し憂うだけ。
平和主義者とは、自己責任も負わず、他者責任も問わない。
平和主義者とは、へらへらと笑い、ひそひそと話す。
平和主義者とは、目前で命が奪われても、風船のような軽い平和を歌うだけ。
平和主義者とは、人々が悲鳴をあげていても、飴のような甘い詩を朗読するだけ。
平和主義者とは、安易な信念という旗を掲げることが得意である。
平和主義者とは、勇気と自信のないなまけものである。
真の平和主義者とは、挑戦者であり、冒険家であり、開拓者であり、実践家であり、行動派であり、指導者であり、勇者であり、戦士であり、闘士であり、あらゆる人々からの称賛に値する、ひとりの人なのである。
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そんなもの
自分の才能を埋もらせてはいませんか?
自分の可能性を閉じてはいませんか?
自分を掘り起こそう!
自分を解き放そう!
才能という種に日の光を当てれば芽を出します。
小鳥を籠から出せば大空に羽ばたきます。
自分とは、そんなものです。
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行け
自室に居るな! 居間に行きなさい!
自宅に居るな! 野外に行きなさい!
自国に居るな! 海外に行きなさい!
人は、すでに地球を離れ宇宙に飛び出しています。
人は、いつかこの世を離れあの世に戻るのです。
ならば、今すぐに、
自分を束縛するありもしない鎖を断ち切りなさい!
自分を許しなさい!
自分を開放しなさい!
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今日
昨日を後悔するな。
明日の後悔を、今日、防ぐのだ。
明日を期待するな。
昨日の期待を、今日、紡ぐのだ。
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自分
自分の中に、有るものは使いなさい!
自分の中に、無いものは作りなさい!
自分を100%、使い切りなさい!
自分を100%、作り出しなさい!
100%だと思っても、それは30%程度です!
その30%は辛苦ですが、後の70%は悦楽なのです!
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卑怯
あなたは卑怯です。
それを知っているのはあなただけです。
あなたは憶病です。
それを知っているのはあなただけです。
あなたは傲慢です。
それを知っているのはあなただけです。
あなたは強欲です。
それを知っているのはあなただけです。
あなたを知っているあなた。それは素晴らしいことです。
だからこそ、あなたは成長ができ、幸福になれるのです。
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不満
両親に不満を持つ子は、まだ子供のままです。
大人ではありません。
友人に不満を持つ人は、まだ知人なのです。
友人とは呼べません。
上司に不満を持つ部下は、まだ部下のままです。
リーダーになれません。
社会に不満を持つ人は、まだ社会人ではありません。
社会の改革はできません。
何かに不満を持つという評論家は早く卒業しましょう。
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苦労
その「苦労」は、お金を出してまで買う必要はない。
ただ「苦労」のない人生には学びがない。
また「無苦」が幸福であるとも限らない。
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メッセージ
人類史という過去は、
あなたの未来へのメッセージです。
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合わせられる
どんな人々にも合わせられる。
いかなる企業にも合わせられる。
最果ての土地にも合わせられる。
しかし、どこにおいても、つまらぬ違和感がつきまとう。
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自意識
自分の、今の意識が、
自分の、今の状態を、
天国にもし、地獄にもする。
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薄い自分
薄っぺらい自信は嫌なほどあるが、真の自信はない。
そんな人間は、薄っぺらい知識を振り回して、小さな世界で偉ぶる。
知らない内に、そんな人間になっちまった。
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決別
今の己と決別しろ!飛び立つのだ!明日の己と出会うのだ!明日を掴みたいが、両手がふさがっている。ならば、躊躇せず、その手を開け!手を広げたいのであれば、心を開け!
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悲嘆
優しい愛情と、深い慈悲のある者のみが、強く成長する。
そして世への悲嘆は、その愛情と慈悲のある者のみが、感じ得るのだ。
★
賛成
安易に“賛成”と言ってしまう。
利口な日本人はみんなわかっている。それがダメなことを。
しかし世論という社会のコンセンサスに負け、自らを誤魔化す。
一旦、世論が逆に傾くと、自分を欺いていた反動が加わり、
一気に、情緒的に反対側の船に乗り込む。
そして初めから、それに“反対”であったかのように振る舞う。
実に卑怯である。
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災害
これを天罰と言うは嘘。
神仏は、自然の法則から逸脱して、
いたずらに生命を毀損はしないのだ。
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苦労
勉強、練習、訓練…、ここに目標があれば楽しいが、
目標がなければ苦労となる。
仕事、家事、雑用…、ここに意義があれば楽しいが、
意義がなければ苦労となる。
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不幸
損得の損が不幸ではない。
また得が幸福ではない。
損得勘定をし、一気一憂している状態が不幸である。
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指針
戒めるべきは、短気。
必要なのは、忍耐。
持ちたいのは、寛容。
与えたいのは、慈愛。
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自己
自己利益より、自己実現を!
自己中心より、自己表現を!
自己満足より、自己成長を!
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結果と原因
結果から原因を見て、その原因に立ち返ること。
結果を振り返っても、その結果は変わらない。
結果の世界には、善し悪し、勝ち負けがあるが、
しかし原因の世界には、善しかなく、勝ちしかない。
結果はゴミであり、原因はエネルギーであり生命なのである。
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愛
愛はいただくのではなく、差し上げるのです。
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好き嫌い
好きな動物は雀。嫌いな動物はゴキブリ。
好きな言葉は必要とされることを必要とする。嫌いな言葉は小役人。
つまり雀のように小さな存在であっても愛されるようになりたい。
逆にゴキブリのような小役人は、私の最も嫌いとする。
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怒り
怒りは何も生まない。ただ失うだけである。
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夢
夢は見るのではなく、夢は創るのです。
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絶対
「絶対だ!」と確信していた青春の夢、願い、希望…。
それらは危ういもので、泡沫なものだと言うこと、どこかで知っていた。
けれど「絶対だ!」と叫ばざるを得ない、それが青春の美しさであり、強さであり、悲しさである。
簡憲幸 簡憲幸 簡憲幸 簡憲幸 簡憲幸 簡憲幸 簡憲幸 簡憲幸 簡憲幸 簡憲幸 簡憲幸 簡憲幸 簡憲幸 簡憲幸 簡憲幸 簡憲幸 簡憲幸 簡憲幸 簡憲幸 簡憲幸 簡憲幸