この言葉が役立ったらありがたい。

私とあなたへのアドバイス。

人生訓

 イヤになっちゃう時

 

小さなことだけどクレームを言われ、

ちょっとしたお金だけど足りなかったり、

期待する友がモタついてみえたり、

心を寄せている女性が冷たく感じられたり、

 

そして、あれこれ、つまらなく感じられる時にこそ、

さぁ、大声出して、みんなに挨拶してはいかが。

 

どうしよう、どうしよう…、

一日中、考えて、悩んで、ふらついて、

どしようもない、とわかっていても……、

ため息ついては、ボーっとしていたり。

 

面倒だなぁ、と心が重くなっちゃう時にこそ、

さぁ、大きくため息でも10回ついて、魂から毒素を出しちゃいましょう。

 

誰かに小さな怒りがフツフツと沸いてきたり、

哀れだなぁ自分は、と思ってみたり、

食事の味がわからなくなってきたり…、

それでも電話は元気に「ハーイ!」と答えちゃったり。

 

パタッと、思考が足踏みしているような時にこそ、

さぁ、背負ってるものを降ろして、引きこもって寝てみましょう。

 

なにもかもが、どうでもいいや、

誰が誰だっても同じだし、

同じことの繰り返しで、

こりゃダメだ、とあきらめたり、

 

イヤになっちやう、そんな時にこそ、

あなたの周りに手を伸ばしてみてください。

きっと、心優しき仲間たちに助けられますよ。

 

 

 

 

 

裏切り

 

 

あなたは、

人に裏切られたことがありますか?

人に騙されたことがありますか?

人に脅かされたことがありますか?

 

あなたが、そう思った、その時が、

裏切られた時、騙された時、脅かされた時です。

 

あなたは人を、

裏切ったり、騙したり、脅したりしたことがありますか?

 

もし相手が、そう思ったら、

その時、あなたはその人を、

裏切ったり、騙したり、脅したりしたことになりませんか? 

 

 

言葉とは何だ。

 

 

愛する者へ、投げかけた言葉が、相手を傷つける。

「言葉は暴力」

何気なく、つぶやいた言葉が、相手の心を救う。

「言葉は愛情」

 

迷い、暗闇に堕ちた時、言葉の光明に導かれる。

「言葉は人生」

 

やさしく口を閉ざす言葉もある。

「沈黙という言葉」

 

言葉とは、何だ。

 

    ★

 

言葉を心底に探し、ひとつを拾う。

小石のような言葉を、ポーンと投げる。

まるで天の雲間から落ちてきかのように、ポチャン…。

 

我が道を歩み散策し、石ころの波紋に似た、

言葉と出会い、また歩みを続ける。

 

夢床のまどろみに霞んでいた言葉を

かき集めると、その言の葉に埋もれてしまう。

言葉の束に息苦しくなる。

 

それでも言葉を集め、言葉をつないで、

言葉に依存している。

 

私は言葉を愛しているのだろうか、

私は言葉に愛されているのだろうか。

 

わからぬまま、言葉に埋もれている。

言葉をなんとかしなくては。

 

 

 

嫌なご縁

 

 

「相手を嫌だ!」と思った時、

その相手を、
スパッと切り捨てることができるだろうか。

 

それができないということは、
相手への打算と損得があるからだ。

相手に嫌われることを恐れているからだ。

 

もし相手に対して、慈愛の心があれば、

「相手を嫌だ!」とは思わないはずである。

 

もし相手に対して、尊敬の心があれば、

「相手を嫌だ!」とは思わないはずである。

 

もし相手に対して、感謝の心があれば、

「相手を嫌だ!」とは思わないはずである。

 

ともあれ、それは相手の問題ではなく、

あなた自身の問題なのである。

 

まずは、自分を慈愛し、尊敬し、感謝することである。 

嫌な相手という存在は、

自分の大切さを教えてくれているのだ。

 

 

 

あなたは敗者です。

 

 

あなたは「負けた」のです。

今のあなたは「敗者」です。

 

過ぎ去った時間、失われた努力、消えうせた情熱、

取り戻せないすべてに後悔が残ります。

 

あたなの失敗を、心から喜んでいるのが、あなたの魂です。

 

あなたの魂はあなたの成長を応援しています。

 

ですから、あなたの魂はあなたの敗北を喜んでいます。

 

もうしばらく、あなたは落ち込んでいてください。

 

当分、敗北を味わっていましょう。

 

その間、あなたの魂は、クックッとほくそ笑んで、

あなたが立ち上がるのを待っています。

 

あなたの魂は、勝者なのです。

同時に、あなたも勝者なのです。

 

 

 

また会いましょう。

 

 

なぜ私を置いて逝ってしまったのだろうか。

なぜもっと私の傍にいてくれないのだろうか。

 

  私はもう逝きます。

  私は満足ですよ。

 

私は独りになってしまった。

あとどのくらい独りでいればいいのだろう。

 

  私の役目は終わりました。

  あなたのお役目はまだあるのです。

 

私にはもう前が見えない。

歩くのさえ辛いのだ。

 

  私はもう歩くことはありません。

  あなたはまだ歩けるのですよ。

 

私は虚しい。

私は悲しい。

 

  私は嬉しいですよ。

  私は幸せですよ。

  

もう終わってしまったのです。

もう会えないのです。

 

  私は未来へ向かっています。

  あなたとはまた会えますよ。

 

 

 

 

玉石。

 

 

この世に、

 

玉石混合などないのです。

 

玉は玉であり、石も玉なのです。

 

この世に、

 

善悪などないのです。

 

善は善であり、悪も善なのです。

 

玉石、善悪を決めるのは、自身の心の中に、石があり悪があるからです。

 

玉石などなく、玉玉であり、善悪ではなく、善善なのです。

 

 

 

 

天使。

 

 

そこには「天使」がいます。
純粋無垢の
あかごのような天使です。

私たちは、天使をけがしてはいけません。
なぜならば、私たちは、

 

その天使から無限で無償の愛を頂いているからです。

私たちは、天使を敬い、慕い、愛するのです。
なぜならば、私たちも、もとは天使だったのですから。

 

 

 

 

伴侶。

 

 

あなたに「伴侶」がいますか?

「伴侶」とは、「生きているオモチャ」です。

あなたがオモチャだと思っていても、
いつしかオモチャは自分勝手に振舞うようになります。

もともと「オモチャは自分勝手」なのです。
そもそも「オモチャがあなたの自由になる」と、
あなたが自分勝手に思う方がおかしいのです。

心から大切にしないと、
オモチャは、いつか壊れてしまいます。
そして永遠に、

 

身勝手なあなたから離れて行ってしまいます。

 

 

 

 

冒険と空虚。

 

 

「安全」を求める人生がお好きですか?
「失敗」はお嫌いですか?

私たちの多くは、ベットの上で生まれ、

ベットの上で死んでゆきます。


しかし一生をベットの上で過ごすのは、
まっぴらです。

一生をイスに座って過ごすのは、まっぴらです。

ただ食べて寝て遊んで暮らすだけの人生は、まっぴらです。


「安全などというのは多くの場合、迷信にすぎません。

人生は冒険するか、空虚に過ごすか、の二つに一つなのです。」(ヘレン・ケラー)

 

 

 

 

不便と不幸。

 

 

身体の「障害」は「不便」です。

ですが「自覚」できます。

しかし、心や魂の「障害」を「自覚」することは、

とても難しいのです。


「自覚」のない人にとって、

それは「不便」ではなく「不幸」です。

「障害は不便である。しかし不幸ではない。」
(ヘレン・ケラー)

 

 

 

さぁ!

 

 

自分への「愚痴」はやめよう。
他人への「悪
ぐち」はもっとやめよう。

「愚痴」「悪
ぐち」は、

あなたが立ち止まっている「言い訳」です。

せっかく生きているのです。

せっかく歩けるのです。せっかく話せるのです。
小さくとも今日も一歩、明日も一歩、歩み続けたい。

目の前に、

あなただけの「成功という階段」がありますよ。

 

さぁ!

 

 

 

成功。

 

 

人は、自分を「成功者」か「敗北者」に決めたがります。

では、「人の成功」とは、何でしょうか
? 

成功とは、学び成長している、その人の「姿」のことです。
成功とは、「結果」ではなく「過程」にあるのです。

そして「敗者」とは、何でしょうか?
立ち止まり、うずくまり、沈黙し、耳目をふさぎ、

 

何もしない人の「姿」なのです。

 

 

 

偽善。

 

 

「自分はいい人間だ」と思いたい。
しかし「自分の不幸はいやだ」とも思う。

ここに自分では気付かない

隙間のような「矛盾」が潜んでいます。

このささやかな「矛盾」を、「偽善」と言います。

自己の中の「偽善」を知っている人は「幸せ者」です。

人に「善」も「悪」もないのです。

人が、自分の中の、

その存在を知っているか、

知らないかの違いだけです。

 

 

 

行動。

 

 

「自分は、ちゃんと行動をしている」のに
「あの人は、ちゃんと行動をしていない」


……といった思考に陥ることがあります。

これは「他者への感謝」を忘れた人の思考です。
気をつけなくてはいけません。

「感謝を忘れた人」の結末は、
自分から「人が離れる」ことです。

 

 

 

動かない人。

 

 

自分を批判する人がいます。反省ではなく。

他人を批判する人がいます。アドバイスではなく。

 

そうした人は、過敏なのです。

 

人に傷つけられる前に、自分を非難してしまう。

人に弱さを悟られるのが怖く、他人を非難しててまう。

 

そうした人たちには特徴があります。

動かないのです。

 

自分では何も始めないのです。

ただキョロキョロと、他人の動きを眼で追っているのです。

 

そして批判をするのです。

自分にも他人にも。

 

実は、私はそうした人間なのです。

だからこそ、動こうと思うのです。

 

動いていると、自分を認められます。

動いていると、他人から褒められます。

 

私は、止まったら、

 

自分や他人を傷つけてしまうのです。

 

 

簡憲幸 簡憲幸 簡憲幸 簡憲幸 簡憲幸 簡憲幸 簡憲幸 簡憲幸 簡憲幸 簡憲幸 簡憲幸 簡憲幸 簡憲幸 簡憲幸 簡憲幸 簡憲幸 簡憲幸 簡憲幸 簡憲幸 簡憲幸 簡憲幸